映画『関心領域』レビュー!音の演出に込められた意図を考察

※当ブログはアフィリエイト広告を掲載しています

洋画

数々の映画祭で賞賛された『関心領域』。アウシュビッツ強制収容所の隣で、ありふれた幸せな日常を送る家族の姿を描いた本作は、ホラーよりも恐ろしいという感想もあります。本記事では『関心領域』の音の演出に込められた意図や川のシーンなどを考察しています。
※ネタバレを含みますので、未視聴でネタバレを避けたい方はご注意ください。

『関心領域』の基本情報

『関心領域』はイギリス人作家であるマーティン・エイミスの同名小説を英国の鬼才ジョナサン・グレイザー監督が映画化した作品です。

第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門グランプリに輝き、ロサンゼルス映画批評家協会賞、英国アカデミー賞などの映画祭を席巻。さらに、第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、脚色賞、国際長編映画賞、音響賞の5部門にノミネートされ、国際長編映画賞と音響賞の2部門を受賞しています。

『関心領域』のあらすじ

ときは1945年、アウシュビッツ強制収容所のすぐ隣。収容所の所長ルドルフ・ヘスとその妻ヘートヴィヒ・ヘス、そして子どもたちは収容所と壁を隔ててすぐ隣にある家で普通に暮らしていました。

自宅の庭でのガーデンパーティ、川遊びなど、ありふれた幸せな日常を送る家族。そして、壁を隔てた先の建物からのぼる煙や列車の音……。

そんなある日、ヘスはドイツのオラニエンブルクへの異動を命じられます。妻のヘートヴィヒは引っ越しを嫌がり、子どもたちとともに今の家へ留まると主張し、ヘスは単身赴任することになります。

『関心領域』の感想・考察

ここからは『関心領域』の個人的な感想や考察を解説します。

※ネタバレを含むのでご注意ください。

「音」の演出に込められた意図

この映画で注目したいのが「音」の演出です。

映画冒頭、ミカ・レヴィ氏が手がけたなんとも言えない不気味さのある曲が流れ、初めから不穏さが漂います。そして、かすかに鳥のさえずりが聞こえ始め、画面にはのどかな風景とピクニックに来たらしい家族の映像が映し出されます。

その風景はまさに平和そのもの。近くを流れる川で水遊びをし、その後家路につく様子はまさに家族の幸せな日常の一コマです。

しかし、家に帰れば鳥のさえずりとともに時折聞こえる列車の音、何かの機械が動く音、そして誰かの叫び声に銃声……。

作中では壁を隔てた収容所の様子は一切出てきません。しかし、ヘス家の日常とともに聞こえるこれらの音が、壁の向こう側で何が行われているのかを想像させます。強制収容所の歴史を知っていると、何も気にせず日常を送る家族の様子がより歪に見えてきます。

劇中では基本的にBGMは流れません。その代わり、常に壁の内側からの音が聞こえ、壁の外側で暮らす家族の無関心が浮き彫りになっているのです。

絶えず上る煙と川から流れてくるもの

壁の内側では、建物から出ている煙や時折訪れる列車から出ている蒸気が、昼夜を問わず絶えず上っています。

劇中前半ではルドルフが焼却炉の建設計画について会議をする場面があり、このことから建物から上る煙が示す意味が分かるようになっています。壁の内側で上る煙は確実に隣の家にも届き、においもしているはずです。しかし、家族がそれを気にする様子は描かれません。

また、中盤ではルドルフが子ども2人と一緒に川遊びをする中、川の水の色が徐々に変わり、ヘスが骨を拾ったことで急いで子どもを川から上げるシーンがあります。そして自宅に戻ると子どもたちが泣くほど体を洗い清めています。

川に流れてきたのは、収容所内で虐殺されたユダヤ人たちの遺灰です。

ここで気になったのがルドルフの態度です。所長であるルドルフは当然なぜあれほどの遺灰が流れてきたのか分かっているはずですが、遺灰に気づいた瞬間ひどく動揺してみせます。所長としての自分の行いへの恐れなのか、子どもたちがユダヤ人の遺灰で汚れることを嫌ったのかは分かりません。

ただ、我が子のことを心配する父親としての姿にも見えます。

妻の言動

作中で最も恐ろしく感じたのが、ルドルフの妻ヘートヴィヒの言動です。

劇中の序盤では庭師が運んできた服をヘートヴィヒが物色し、高そうな毛皮のコートを自室で身につけるシーンがあります。このコートは強制収容所でユダヤ人から奪ったものです。

また、ヘートヴィヒの母が移り住んで来たときの態度も印象的です。家の中や庭を案内する際、母親は壁の向こう側から聞こえてくる音に反応する素振りを見せます。しかしヘートヴィヒは一切気にせず会話を続けます。

壁の向こうを気にする母親と、気にしないヘートヴィヒ。対照的な姿が描かれることで、ヘートヴィヒの態度が一層異様に見えてきます。

さらに、ヘートヴィヒはルドルフに栄転と都会への引っ越しの話をされると怒りをあらわにし、引っ越しを拒否します。ヘートヴィヒは田舎での穏やかな生活を夢見ており、今の家はまさに理想そのものだったのです。収容所の隣であることは、彼女にとっては何も問題ではなく、離れがたい場所として引っ越しを拒否しルドルフに単身赴任を提案します。

ヘス夫妻に限らず、夫の仕事の都合で引っ越しを余儀なくされることを嫌うのはよくある話でしょう。立派な一軒家に住み、庭には温室やプールもあり、高価な品物も簡単に手に入る裕福な暮らしを手放したくないという感情もごく一般的にあり得ることです。

本来ならありふれた話のはずが、家が収容所の隣であり、ユダヤ人虐殺のうえに成り立った豊かさであるために、異様さが漂い、さらにヘートヴィヒの壁の向こう側への無関心さも際立ちます。

もちろん、ヘートヴィヒは壁の内側で何が行われているか分かっていないわけではありません。母親がこの家での生活に耐えられず手紙を置いて出て行ってしまった際には、家の使用人へ「夫があんたを灰にして撒き散らす」と発言します。

ヘートヴィヒは確かに、夫の仕事と、壁の向こう側で何が行われているのかを理解しているのです。そのうえで、一貫して壁の向こう側への関心を見せない姿がおぞましく感じられます。

りんごを置く少女の正体

ルドルフが子どもに『ヘンゼルとグレーテル』を読み聞かせるシーンでは、サーモグラフィで撮影されたりんごを置く少女が映し出されます。

この少女はアレクサンドラ・ビストロン・コロジエイジチェックという実在の女性をもとに描かれています。収容所の人々へこっそり食事を与えていたとされる人物です。

夜の暗闇の中、周囲を警戒しながら収容所の人々が拾える場所へりんごを置く少女は、人間の善意を象徴する存在ともいえます。サーモグラフィを用いているのも、人の温かみも感じられる演出です。

また、少女の自宅は収容所から少し離れた場所にあります。すぐ隣で暮らしているのに関心を見せないヘス一家と、遠くにいながら収容所の人々を助けようとする少女。こうした対比からも、ヘス一家の無関心のおぞましさが感じられるとともに、関心を持つことに距離は関係ないと示唆されていると感じられます。

『関心領域』考察余談

『関心領域』の原作では、ヘス・ヘスの妻と不倫を目論むナチスの将校・収容所内で死体処理の仕事を担当するユダヤ人の3人の視点で物語が展開されます。一方、映画ではヘス視点に絞っています。

ヘス視点に絞られているため、見る側は収容所内のことを想像するしかありません。個人的には、直接的に描かれるよりも見る側の想像がかき立てられるように感じました。

また、ヘス一家の無関心さを見せられるほど、見ている自分自身の「無関心」が暴かれる感じがします。

映画のラストでは、現代の博物館となったアウシュビッツ強制収容所を清掃する職員たちが登場します。職員が磨くガラスの先には、虐殺されたユダヤ人たちの遺品……ホロコーストの悲劇が確かにあったことだと突きつけられます。フィクションではなく、今の時代と地続きになっている歴史上の出来事なのです。

紛争、貧困、差別……さまざまな問題が自分たちの身近にあっても、見たいものしか見ず、関心のないものは見えないふりをしていないか。気づいていても無関心でいないだろうか。その姿は、ヘス一家とどう違うのか。

そう問われているような感覚になる映画です。

『関心領域』の配信はいつ?

『関心領域』はWOWOWオンデマンドで視聴可能ですが、他の動画配信サービスではまだ配信されていません。(2024年12月31日時点)

Blu-ray&DVDは2025年1月8日発売です。発売後は各種配信サービスでレンタルでの視聴ができるかもしれません。

まとめ

本記事では『関心領域』のあらすじや感想・考察を解説しました。

ヘス一家の無関心さに嫌悪感やおぞましさを感じるとともに、「自分も無関心になっていないか」となんとも言えない感情が沸いてくる映画です。

映画では原作を大きく改編しているため、原作の『関心領域』を読むとまた違った印象が感じられます。日本語訳版も販売されているので、映画とあわせてぜひチェックしてみてください。

タイトルとURLをコピーしました